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創業者 宮崎奈良次郎創業者 宮崎奈良次郎

「商いは牛の歩みのごとく」という古くからの格言があります。

これは前に進んでも後ろに退くな、粘り強く前進せよという意味です。粘り強い堅実な経営のもと、誰からも愛される製品を提供しようという当社の企業理念をよく表しており、またそこから、まじめで親しみのある牛が、当社の企業理念のシンボルとして選ばれ、大切にされてきました。

日本における石鹸製造は明治2年が初めと言われ、その後、海外の技術を吸収しながら各地に工場がつくられ、明治10年ごろには、はや輸出産業にまで発展していったそうです。そして大阪は、全国の石鹸工場の中心地でもありました。 そうした明治も末期、明治42年(1909)、大阪市東区清水谷(現天王寺区)において、宮崎奈良次郎が石鹸製造を開始しました。共進舎石鹸製造所、これが牛乳石鹸のはじまりです。

小さな町工場としてスタートした牛乳石鹸は、初代社長の人柄と手腕が買われ、順調に業績を伸ばしていき、やがて大阪における有力石鹸メーカーの戦列に加わっていったのでした。

当時、大半の石鹸業者は、問屋の商標による請け負い生産をしていました。問屋の力が強かった時代で、牛乳石鹸も例にもれず、京阪神の有力問屋50店以上の留型石鹸をそれぞれの商標で製造していました。また、佐藤貞次商店の「牛乳石鹸」も当工場で生産していたのです。