HISTORY
牛乳石鹸の歴史
タイムライン版
- ダイジェスト版
- タイムライン版
1950年代〜
1950年
昭和25年
朝鮮戦争の混乱にも動じず堅実経営を貫く
生産ラインのオートメーション化先進諸国の技術にならう
-

完全整備、近代化された今福本社工場(昭和35年)
1951年
昭和26年
東京営業所を設置。ナショナルブランド育成のステップに
-

日本橋小舟町の東京営業所
民間ラジオ開局と共に、ラジオ宣伝をスタート
ポピュラー歌謡曲番組「歌謡五十年史」をスタートし、お茶の間の人気番組となった。
-

「歌謡五十年史」の公開録音風景(昭和26年)
1954年
昭和29年
マーケティングの一環として牛乳石鹸歌謡学校の創設、ラジオで放送
37年2月に最終回を迎えるまで、9年間にわたって放送された。
-

歌謡学校のしおり
香料の研究にオランダへ留学
当社と長年にわたり取引関係にあったオランダのポーラックシュワルツ社からの招きを受け、宮崎俊彦香料課長が客員として同社の研究員となる機会を得た。2年余りの留学期間中、香料の合成から、天然香料の調合などの技術をじっくりと学び、合間をぬってはイギリス、フランス、ドイツの香料会社なども視察し、見聞を広げた。帰国後「綜合研究所」の建設に着手。。香料や新製品の研究・試作に欠かせない最新設備を導入し、欧米や、国内の大企業の研究所に勝るとも劣らない研究環境を整えた。
-

ポーラックシュワルツ社にて、中央が宮崎俊彦
-

完成当時の綜合研究所
1955年
昭和30年
本社事務所ビル竣工
-

完成した本社事務所ビル(昭和30年)
1956年
昭和31年
テレビ時代の到来。さまざまな番組提供で茶の間に浸透
1957年
昭和32年
海外視察のチャンスを生かして、先進国から近代経営のノウハウを学ぶ
日本生産性本部の指令により、アメリカの油脂加工業界研究団の一員として、宮崎楢義常務が渡米。
-

渡米中の宮崎楢義常務
-

アメリカのナショナル社にて、中央が宮崎武明
粉末シャンプーを新発売シャンプー市場に本格進出
-

粉末シャンプー。お洒落に敏感な女性の必需品となる
1958年
昭和33年
創業50周年を迎える
1959年
昭和34年
液体シャンプーの発売。使いやすく明るいデザインで人気
発売当初の牛乳活性シャンプー。チューブ入りは60円、ポリエチレン容器入りは50円だった
1960年
昭和35年
男性化粧品分野に進出
ブラシュレス・シェービングクリームを発売
-

ブラシュレス・シェービングクリーム
1961年
昭和36年
お風呂屋さんの「のれん」制作開始
お風呂屋さんの顔として町の風物詩に
-

銀閣寺湯
-

のれん(東京型)
1963年
昭和38年
⼤阪市鶴⾒区中茶屋に安⽥⼯場完成
-

第1期工事で完成した安田新工場(右にグリセリン工場と鹸化工場が並んでいる)
1965年
昭和40年
硫黄島で日本兵の遺品の中から牛乳石鹸を発見
戦後初めて硫黄島を訪れた日本人記者団が、洞窟で日本兵の遺品を発見し、その中から黒こげになった「牛乳石鹸」が見つかった。戦火に焼かれ炭のようになっていたが、石鹸の表面に刻印された牛のマークと〝牛乳石鹸〟の文字がはっきりと残っている。
-

黒こげの石鹸にくっきり牛のマークとロゴ
東京都中央区⼩⾈町に東京⽀社ビル完成
-

完成した東京支社ビル
1966年
昭和41年
日本初デオドラント・ソープ「ニュータイプ」発売
デオドラント商品市場の幕を開く
-

発売と同時に全国紙に広告を掲載した。
1967年
昭和42年
創業60周年。牛乳石鹸共進社株式会社に社名変更
3代目赤箱 「Beauty Soap」に変わり都会的な印象に。
-

3代目赤箱
1968年
昭和43年
4代目赤箱 「Beauty Soap」が筆記体に。
-

4代目赤箱
1969年
昭和44年
バイオレット香水石鹸「フロリダ」を新発売
-

バイオレット香水石鹸「フロリダ」


