HISTORY
牛乳石鹸の歴史
タイムライン版
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1909年代〜
1909年
明治42年
宮崎奈良次郎により⼤阪市天王寺区清⽔⾕にて創業
47歳で個人経営による共進舎石鹸製造所をスタート。
「販売に有利な石鹸とは、良質の石鹸である。」という、奈良次郎が身を持って得た品質へのこだわりと誠実さが、逞しく成長していく糧となった。そして、この信念が現在まで連綿と受け継がれている。
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創業者 宮崎奈良次郎
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創業当時の清水谷工場
創業当時に製造していたさまざまな留型石鹸
無澱粉の石鹸作りを始め、品質の良さで信用を獲得。
有力メーカーの仲間入りを果たす
業界が活気づく一方で、混ぜものの多い、粗悪な石鹸が出回り、そして、このような石鹸を輸出したため、輸出先で青カビがはえてクレームが続出していた。良質の石鹸作りに信念とこだわりを持っていた奈良次郎は、この事態に心をいため、いち早く無澱粉の石鹸作りに切り替えることを決断した。
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清水谷工場にて
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当時の石鹸
1913年
大正2年
「キューピー」商標登録
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キューピー
1914年
大正3年
第1次世界大戦の影響で輸入が途絶え、国産化が進む
第1次世界大戦が終わると状況は一変した。原料が暴落、石鹸価格も下落して、業界は大きく動揺した。そのような状況下でも当社は堅実経営に徹し、大きな損害もなく苦境を乗り越えることができた。
当時を代表する自社ブランド石鹸(昭和初期)
1915年
大正4年
「スキンライフ」商標登録
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スキンライフ
1918年
大正7年
わが国初の脂肪酸石鹸を製造・研究開発を進めて増産へ
佐藤貞次商店から「牛乳石鹸」の商標を譲り受け、念願の自社商標による製造販売が実現した。初代「赤箱」はどっしりとした牛が特徴。
大正15年の売り出チラシ
1924年
大正13年
創業20周年、今福工場が完成
大阪市東成区今福町(現・城東区今福西)に約2000坪の土地を購入。工場建屋に機械器具、作業設備などすべてを新設し、石鹸製造工程の大改革ともいうべき本格的な近代工場が完成。
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完成当初の今福工場前景
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創業20周年・工場新築落成記念ステートメントとして発表した共進イズム
1928年
昭和3年
初代「赤箱」発売。「牛乳石鹸」を自社商標に
佐藤貞次商店から「牛乳石鹸」の商標を譲り受け、念願の自社商標による製造販売が実現した。初代「赤箱」はどっしりとした牛が特徴。
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初代「牛乳石鹸」赤箱
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昭和10年頃の新聞広告
1931年
昭和6年
2代社長に宮崎寅四郎が就任
これまでの個人経営から株式会社へ組織をあらため、社名を共進舎石鹸株式会社として、近代工業の企業体へ体制を整えた。
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2代社長 宮崎寅四郎
1937年
昭和12年
「牛牌香皀」(COW BRAND SOAP)を外国向けブランドとして開発。中国、東南アジアへ販路拡大
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「牛牌香皀」の中国現地向けポスター
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昭和10 年ころ、台湾での宣伝隊
1943年
昭和18年
大阪で唯一の浴用石鹸指定工場となる
太平洋戦争下、大阪で唯一の浴用石鹸工場の指定を受け、社名を共進社油脂工業株式会社と改称し、軍需、民需の石鹸製造に従事した。
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昭和15年ごろの今福工場包装場
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昭和15年ごろの今福工場正門
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成型場
天津工場の開設。中国で現地生産を開始
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天津の共進洋行事務所
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「牛牌香皀」中国現地販売店用看板
1945年
昭和20年
戦禍により今福⼯場全焼
1946年
昭和21年
戦後の混乱の中で生産再開
終戦とともに全社員⼀丸となって復興再建に励む。
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昭和23年ころの今福工場正門
配給石鹸「花の香り」を作り、戦後の荒廃した暮らしと心にうるおいを届ける
戦災でわずかに焼け残っていた香料を惜しげもなく使い、採算が合わないことは承知のうえで本格的な化粧石鹸の提供に徹したのである。〝良心〟でつくりあげた「牛乳石鹸」は、当然のことながら高い評価を受け、たちまち配給石鹸の人気ナンバーワンとなった。
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配給石鹸時代のチラシ
1949年
昭和24年
「牛乳石鹸」の大量生産をスタート
従来の⽜乳石鹸(⾚箱)に加え、「⻘箱」「⽩箱」を発売。
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昭和26年ころの石鹸展示会【写真】戦後間もなく
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2代目の箱はスマートに。2代目「赤箱」






